心理な学びの毎日に

奈良で心理学にハマるアラフィフ女子のひとりごと

抱えてきた傷と

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わたしは男女問わず、
「俺様キャラ」が苦手。
子供の頃に自分の心を傷つけられた相手って、
大体がそういうキャラの人物だった。

 

子供の頃の記憶で
今でも忘れられない記憶がいくつかある。
ずっと蓋をしていた記憶もあって、
大人になって疼きだした記憶もある。
だけど昨年に受けたカウンセリングや
心理学レッスンで先生に話したことで、
記憶は記憶として整理できた、
そんな気がしてる。

 

他の誰かにしたら、
ほんの小さな傷かもしれない。
だけどそれは自分が歩んだその後の歴史と共に、
開いては大きくなり、手当もしないまま、
誰かに同じところを傷つけられたり。
そんな事も多い。

 


自分の人生に一番影を落としたのは、
小学生低学年の時の、
クラス中からのいじめだった。
いじめは幼稚園の時からあった。
だけどクラス中から、
ばい菌扱いされることになったのは、
小学3年生の時の半年間だった。
いじめのリーダー格の少年がいて。
それに仕えるようなリーダーの少女がいて。
随分と酷いことをされた。

 

プールの授業から教室に戻ったら、
男子トイレにパンツを投げ込まれて、
無理やり連れていかれて男子トイレに入れられて、
そしたらいじめっ子達は先生を呼び、
「Yさんが男子トイレを覗きました」
そして怒られるのはいつもわたしだった。

 

リーダ格の女子から、
消しゴムが机の下に入ったから、
取ってほしいと言われ、
何かを頼まれるのが嬉しかったわたしは
机の下にもぐったらその子が先生を呼び、
「Yさんがスカート覗きました。」
そして怒られるのはわたし。

 

大人なんて先生なんて、
そんなものだと諦めていたし、
そんな状態でもいじめっ子達の事は恨んだことはなく、
いじめられる自分が悪いのだと思っていた。

 

その後いじめがなくなってからも、
信頼していた子を中心とした集団無視があったり。

 

どの子も俺様キャラだったな。
俺様キャラにはそれに従う子が周りにいて。
今考えればどの子もそれはそれでメンタルに
何かを抱えていたのかもしれない。

 

だけど大人になってからあった、
数十年ぶりの同窓会で知ったのは、
どの子達も周囲から実は嫌われていた、
という事実だった。
集団無視だって自分だけじゃなかったことに、
みんなで安堵したのを覚えてる。

 


わたしはそれでも、
誰かを憎んだことはないし、
自分がこんなだからダメなんだ、
自分がこんなだからいじめられるんだ。
そう思ってきた。いや、思わされてきた。

 

わたしの自己肯定感の低さは、
子供の頃から植え付けられたものだった。
いじめられるようなダメな自分。
そう、思い込まされてきた。

 

そして大人になった時に、
大好きで信頼する年上の友人が出来て、
その人に子供の頃のいじめのこと、
そこから引きずっている生きづらさのこと、
そんなことを思い切って話したら、
「自分の不幸に酔ってるだけ」
「今頃、子供の頃のことを何を言ってるの」
などと言われて、それがまた自分にとって
とてつもない傷となった。
やっぱり弱いわたしが悪いんだ。
そう植え付けてしまった。

 

だけどある日の読んだ本に、
こんなことが書いてあった。

 

「いじめはいじめる方が100%悪い」

 

たったそれだけのこと。
当たり前のこと。
だけどわたしの人生で誰も一度も、
言ってくれなかったこと。
その言葉にワンワンと泣きじゃくったことを、
今でも覚えてるし忘れない。

 


カウセリングルーム風舎で、
カウンセリングの時に先生に、
子供の頃のいじめのこと、
大人になってからの友人からの言葉、
それが刺さって抜けないこと、
そんな事を話したら先生が一言、

 

「二次被害ですよ、それ」

 

そう、
とっても真剣に怖い眼をして、
言い放ってくれた。

 

嬉しかった。
そこからわたしは、辛かった記憶を手放せた。
ずっと辛かった、悩んでいた「いじめ後遺症」。
大人になってからも小学生の男子集団が怖かったり、
人の目をみて話せなかったり、
責められるとパニック起こしたり。
何かと言えば「ごめんなさい」が口癖で。

 

だけどそんな、
ずっと刺さっていたトゲを、
抜いてもらえた気がした。

 

なぜそんな当たり前の事を、
言ってくれる大人がいなかったんだろう。
なぜ、あなたはあなたでいいのよ、
そう言ってくれる人はいなかったんだろう。

 

なぜ、虐められる方も責任があるなんて、
そんな事が言えるんだろう。
なぜ、辛い思いを抱えて生きることが、
弱さに自ら浸ってるなんて、
そんなことが言えるんだろう。

 


ここ最近で、
色んな辛い過去を抱えた人と
たくさん出会った。
自分の経験なんてまだ、
ほんとにちっぽけだと思うくらいに。

 

誰かにとってはたわいもないことも、
一人の人生に大きな傷となることもある。
誰かにとってはすぐに忘れられる出来事も、
一人の人生にとっては忘れられない
大きな重荷になったりもする。


自分の人生の意味を考えるのは
自分であって誰かじゃない。
弱さに苦しむ人にかける言葉は、
強くなれなんて言葉じゃない。

強くなんてなろうとしたくたって、
優しく生きれてる時点ですでに
強さをもってるんだとわたしは思う。

 

それは、それでも、
優しさをもって生き抜いてきた人たちが、
人生を持って教えてくれたこと。


そして先生が最近教えてくれたこと。
心に刻むこと。

 

弱くて良いと逃げ切った時、
誰かに全力で頼り切った時、
人はやがて自分の足で歩きだすんだと、
そんな人をたくさん見てきたんだと、

 

教えてもらったそんなことを胸に刻んで、
これからは、いやこれからも、
ただ優しく、生きていくわたしでいたい。